魂が語ること
何か相談を受けると、私はその人の魂と会話する。魂のほうが、本人の事情に詳しいから。
私は人と話をするとき、その人の話す言葉だけではなく、魂の言うことを聞くようにしている。
魂は、その人の感情や心以上の、本質的な生き方や思いを見せることがある。
そして意識を辿り、時間も空間も超えて『今』を創っている因果因縁も見に行く。
人は感情や思考・慾にとらわれるあまり、自分が本当に行きたいと思う方向や、心からの思いや願いを忘れてしまうことがある。
だから、会話だけでは理解に至らない場合、その魂に向かって話しかける。
すると魂は、時として思いもかけないことを教えてくれる。
なぜこの世に生まれてきたか、何を課題としているか、何をすることで気持ち良く生きていけるか。
また過去世での体験や、これまで解放できなかった思いまでも、聞かせてくれたりする。
目の前にいる人だけではなく、その場にいない人に会いに行き、その人の魂の考えや思いを聞くこともある。
名前を聞いて意識を辿り、その人を探す。
自分の意識・エネルギーを集中し、意識を飛ばす。意識は空中に浮かび、瞬時に今いる部屋、家を通り抜ける。
時間も空間も超え、気がつくとその人さえも知らない、魂の記憶の世界にいる。
魂との対話は訓練をすることで可能になる。
意識を飛ばし、意識を辿ることも訓練をすることで可能になる。
雑念を捨て、自分と向き合う。自分の中心の静かな場所に入る。
大自然の摂理を体感する。 宇宙が伝えるメッセージや力を感じてみる。
そうすることで、宇宙と魂が一体になれる。それを多くの人に感じ取ってほしいと思う。
自分の魂に関心をもたないでいれば、いつか自分自身が苦しいことになるのではないだろうか。
素直に、自由に、魂の要求に応えることができれば、生きる楽しさや充実感を感じられるようになるのではないだろうか。
最近の傾向としては、宇宙がどんなところか、どんな偉大な力をもっているかなどに注目が集まっているけれど、
その前に、自分の魂は輝いているのだろうか、生き生きとしているのだろうかーーーと、そのことに関心をもってもらいたいと思う。
そのほうが、みんなが幸せになれる近道なのだ。
人間の魂は、みぞおちの奥にある。
いつからか自然に、みぞおちの奥にある、小さな小さな光に向かって話しかけるようになった。
話しかけるときは、自分のエネルギーを注ぎ込むようにする。口先だけで声をかけても、言葉は届かない。
物心ついたときから、人の意識は見えた。身体の中も透けて見える。未来も見える。意識を辿れば、はるか過去の様々な情報も見える。
つまり、その人を見ると自然に頭のスクリーンに様々な映像が映る。
その映像を見て、「あ、この人はこのままだと、こういうことが起きるだろう」と判断しては、それを伝えたりした。
私にとってはふつうの会話のつもりだったけれど、おもしろいことを言う子どもだとびっくりされたり、まるで飛び跳ねるように喜ばれたりした。見えていることをちょこっと伝えるだけで、人は喜んでくれるのだと知ってとても嬉しかった。
いろいろな人との出会いによって、自分の能力の特殊さにやっと気づくことができた。
子どものときは、オーラを読み取ることも、浮遊霊と話をすることも、天の声を聞くことも、魂と話をすることも、すべて当たり前のことで、自然な行動だった。
そういう風に、人の気持ちや心の中を知ることを「リーディング」と呼ぶことにしている。
私にとってリーディングをすることは、こちらから積極的に読み取るというよりも、魂の叫びが聞こえたから、語ってくれたから、その言葉に従って、そのことを伝えるだけだ。
私が欲求しているものではなく、それは相手が欲求していることであって、私はそれをそのまま伝えているだけだ。
人は、知らないこと、不思議な話を聞くことが大好きだ。幼いころの私もそうだった。
初めて聞く話、初めて教えられる学問は、心をワクワクさせた。希望が感じられた。
生きる希望とは、知らなかったことを知ること、好奇心をかきたてられること、ワクワクすること。
それを見つけたとき、人間は急成長を遂げる。
逆に、毎日たんたんと同じことをくり返すことは、人間にとって苦痛なことなのだ。
端から見れば、幸せな生活に見えたとしても、本人にとって平凡な日常は幸せと思うことができない。
日本人は、純真でまじめな国民性だ。どうしても自分をまじめにまじめに、周りの人に合わせるようにし、自分の魂のままの要求に応えることを忘れてしまう。それを忘れてしまうと、生きる意味や意欲を失ってしまう。
人が幸せを感じながら生きることは、本来簡単なことなのだと思う。
自分の魂の声に耳を傾けること、その要求に純粋に応えていくこと。それだけで、その人本来の成功へと繋がる。
それは、 一般的な幸せやお金を得る成功ではない。その魂が理想とする生き方、暮らしをすることが真の成功である。
成功を拒んではいけない。成功とは、生まれてくるときに魂が望み、それを目的としている。
我をそぎ落とし、純粋な要求をもってさえいれば、人は幸せに気付ける。
それを約束されて、この地に命をもって生まれてくる。そのことに人々は気付いていない。
これまで私が出会ったどの魂も、皆同じことを言っている。
「私は輝きたい」
「この地球で生きていきたい」
「人と愛し合いたい」
「私は輝きたい」というのは、自分のもっている力を限りなく発揮し、そのことで人に喜ばれたいという欲求だ。
大事なのは、人に催促されたり命令されたりして行動するのではなく、自分で、どうすれば人に喜んでもらえるのかを考えて行動することだ。
その結果として喜んでもらえれば、魂は喜び、自然と輝く。
「この地球で生きていきたい」とは、地球が大好き、自然が大好き、草木が大好き、大地が大好き、それを日々感じて生きていきたい、大地に根を下ろし、触れ合いながら生きていきたい、という魂の強い欲求の現われだ。
「人と愛し合いたい」とは、魂は命をもってこの地球に生まれてきたときから、大きな目的として人と触れ合いながら、絆を深めながら、自分を高めたいという強い欲求をもっている。
孤独が好きという人もいるかもしれないが、それは魂の欲求ではない。魂は、家族と愛し合いたい、友人とわかり合いたい、たくさんの仲間をつくりたい、と望んでいる。
そして誰もが、人と触れ合って愛を知る、という課題をもっている。
肉体を失い、また魂だけになった時に、その全てを思い出す。
どこまで宇宙の中心に近いところまで戻れるか。それは意識の軽さしだい。
どこまで高い次元に到達できるか。それは意識の軽さしだい。
最近は次元を上げようと、慾に囚われ知識だけを増やし、意識が重くなり悩みが増えてる人が多くなってるように思う。
いま、魂の声に耳を傾ける時代が来ている。